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【たかぎさんコラム】勝浦正樹さん、騎手を目指したきっかけは漫画だった…「絶対にジョッキーになってやる」競馬学校での苦労と忘れられないG1

たかぎさんのおはなし

2026/10/16 20:20

たかぎさんと勝浦正樹さん(写真提供:たかぎさん)

【たかぎさんのおはなし−競馬と人がつないでくれる日常−】

 元JRA騎手の勝浦正樹さんと、ご飯を食べながらゆっくり話をする機会があった。

 勝浦さんといえば、2002年のNHKマイルカップをテレグノシスで制したことを覚えている競馬ファンも多いと思う。現在は競馬番組やYouTubeなどで活動していて、現役時代とはまた違った形で競馬に関わっている。

 今回は、そんな勝浦さんに、騎手を目指したきっかけから競馬学校での生活、現役時代の思い出まで、いろいろと聞いてみた。

 まず気になったのは、そもそもどうして騎手になろうと思ったのか、ということだった。

「小さかったからですね、体が」

 いきなりシンプルな答えが返ってきた。

 勝浦さんの家族には競馬関係者がいなかったという。ただ、お父さんは競馬好きで、生まれ育った場所も中山競馬場まで車で20分ほど、競馬学校までは10分もかからない距離だったそうだ。

「競馬関係者はいないんですけど、中山競馬場まで車で20分ぐらい、競馬学校まで10分もかからないぐらいっていう環境で生まれたんで、競馬学校の存在は知っていたんです。日本に1個しかないじゃないですか。普通は遠い存在ですけど、僕にとってはめちゃくちゃ身近にあって。それは大きかったかもしれないですね」

 そんな勝浦さんが、本格的に騎手を目指すきっかけになったのは、意外にも漫画だった。

『風のシルフィード』で見つけた競馬学校への道

「本当の最大のきっかけは、『週刊少年マガジン』で連載されていた『風のシルフィード』ですね」

 競馬を題材にした漫画『風のシルフィード』。勝浦さんは、そこに掲載されていた競馬学校の生徒募集の案内を見つけたという。

「『願書受付中』『生徒募集中』みたいな、競馬学校のチラシというか、あったんですよ。それを見て、『あ、これだ』っていう感じですよ」

 誰かに勧められたわけでもなく、自分で見つけた騎手への道。中学3年生の時、母親に「これ受けたいから」と伝えたそうだ。

 ただ、競馬学校の入学試験は簡単なものではなかった。

 勝浦さんの記憶では、当時の倍率は約30倍。300人ほどが受験して、合格するのは10人程度だったという。

 しかも、願書の締め切りが9月4日だったのに対して、募集に気づいたのは9月1日。健康診断など必要な書類を準備し、郵送では間に合わないかもしれないと考え、競馬学校まで直接願書を持って行ったそうだ。

 入学試験では、学科や作文のほかに体力測定もあった。

「学科は全く自信なくて、作文もそんなに得意じゃないんですけど、体力測定は自信があったんで」

 腕立て伏せ20回、懸垂10回といった課題があったそうだが、勝浦さんにとっては物足りなかったらしい。

「いやいや、永遠にやらせてくれよ!みたいな(笑)。アピールですよね、そこって。極力素早く、パパパッと。もっとできるんだぞ、俺は、みたいな」

 このあたりの話を聞いていると、当時の勝浦少年の姿が何となく想像できる。

 ただ、本人は学科試験に全く手応えがなかったという。

 後日、競馬学校から届いた封筒は、驚くほど薄かった。

「ペラペラなんですよ。『あ、絶対落ちたわ』って。でも開けたら1次合格ってなって。『え、マジで!?』って」

 その後、3泊4日の泊まり込みで行われた2次試験にも合格。12月には競馬学校への入学が決まった。

 競馬関係者の家に生まれたわけでもなく、乗馬経験が豊富だったわけでもない。中学3年生の時に自分で見つけた道を、そのまま進むことになった。

「馬乗りが本当に下手くそで」競馬学校での3年間

 競馬学校に入学してからの生活について聞くと、勝浦さんはすぐにこう答えた。

「競馬学校はめっちゃ辛かったですよ」

 何が一番大変だったのか。

「いや、馬乗りが本当に下手くそで、それが厳しかったですね」

 競馬学校は全寮制。当時は正月に実家へ帰ることもできず、2年生の夏に厩舎実習が始まる前、3泊4日ほど帰宅できる期間があった程度だったという。

 実家は車で10分もかからない距離。それでも、簡単に帰れるわけではなかった。馬に乗る技術にも苦労し、進級試験や騎手免許試験は毎回不安だったそうだ。

「入ったからって誰でも騎手になれるってことでもないんで。自分が下手くそだったから、進級試験とか騎手免許試験とかはもうドキドキでしたよ。本当に必死でした」

 それでも、辞めたいと思ったことは一度もなかったという。

「絶対にしがみついてでも、絶対にジョッキーになってやるっていう気持ちでしたね」

 こうして競馬学校を卒業し、騎手としてデビューを迎えることになる。ところが、デビュー当日の記憶について聞くと、これまた意外な答えが返ってきた。

「デビューした日はね、あんまり覚えてないんですよ」

 ただ、初めて乗ったレースで、後方のまま何もできずに終わってしまったことは覚えているそうだ。

「全然競馬にも参加できず、ケツからケツで。『あれ? これヤバくない?』みたいな、そういうのは覚えているんですよ」

 競馬学校では必死に騎手になることを目指してきたものの、実際にプロの世界に入ると、また違う難しさがあったのだと思う。

テレグノシスのNHKマイルカップ、そして武豊騎手への思い

騎手時代の勝浦正樹さん

 勝浦さんの騎手人生を語るうえで、やはり外せないのがテレグノシスだろう。2002年のNHKマイルカップ。勝浦さんにとって初めてのG1制覇となったレースだ。

 ただ、本人に「一番思い出に残っている馬は?」と聞いても、簡単には答えられないという。

「思い出の馬はいっぱいいるんですよ。だから『1番は?』って聞かれても……。嬉しいのは、本当に勝つこと。勝つことなんて滅多にないんで、勝ったらもちろん嬉しいし。でも、やっぱり1番とか2番はないんですよ」

 テレグノシスについても、特別な思いがある一方で、複雑な気持ちが残っているそうだ。

 NHKマイルカップでは、直線で斜行したことが問題になった。

「テレグノシスのNHKマイルカップはやっぱり、斜行があって。人に迷惑をかけてるっていうのもあるから、1番ではないんですよ」

 そのレースで不利を受けた武豊騎手についても、今なお申し訳ない気持ちがあるという。

「豊さんには、もちろん今でも『本当にすいません』っていう気持ちなんですけど。でも、ジョッキーとして覚えてもらっているのもテレグノシスだし、感謝っていう意味だったら1番かもしれないですけど。思い出したくないレースでもあるんですよ。振り返りたくないというか」

 G1初制覇という大きな出来事でありながら、本人にとっては単純に喜びだけで振り返れるレースではないらしい。

 そんな武豊騎手について、現役時代はどんな存在だったのかも聞いてみた。

「いや、雲の上の存在ですよ。本当に不思議な感覚ですよ」

 現役時代から競輪場に一緒に行ったり、食事に誘ってもらったりする機会はあったそうだが、今ほど頻繁ではなかったという。

「豊さんに話を聞くとか、乗る馬が被るとかもそんなになかったし、恐れ多くて聞けないっていう感覚だったんです」

 引退した現在は、武豊騎手と会う機会も増えたという。それでも、本人の中では変わらない部分があるそうだ。

「本当にありがたいですよ。今でも緊張します。ピシッとなりますね」

 勝浦さんの話を聞いていると、長い騎手人生の中で出会った人たちへの感謝の言葉が何度も出てくる。

 特に、西山茂行オーナーについて尋ねた時もそうだった。

「僕はもう感謝しかないですし、乗せていただけていたっていうのは感謝でしかないんで。『西山オーナー、なんであんなに乗せてくれるのかな』って。本当に感謝の気持ちしかないですね」

 自分で騎手への道を見つけ、厳しい競馬学校を経て、長く騎手として走り続けてきた勝浦さん。

 では、なぜその騎手人生に区切りをつけようと思ったのか。次回は、勝浦さんが語ってくれた引退の理由と、その後の生活について書いてみたい。

◇たかぎさん(高木翔太)
都内在住、35歳。マーケティング・コンサルティング事業を手がける傍ら、一口馬主クラブなど競馬関連の仕事にも携わる。競馬歴約7年。ディープインパクトとの出会いをきっかけに競馬の魅力に惹かれ、現在は馬主資格も取得。競馬を通じた人とのご縁を大切にしている。

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